ヴェルサイユ再発見

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「新たなページが開かれる」というマクロン仏大統領のテレビ演説をもって、フランス本土でも約3か月間続いたパンデミック新型コロナウイルス対策措置が徐々に解除され、通常活動が再開しました。安心な日常生活に感謝し、物事を新たな目線で見直す機会をもたらしてくれました。
(通常活動が再開してもマスクの着用の義務付けを続ける場所が大多数です。写真はヴェルサイユ宮殿の入場口にて。)
(通常活動が再開してもマスクの着用の義務付けを続ける場所が大多数です。写真はヴェルサイユ宮殿の入場口にて。)

近いほど遠い観光名所

観光客数世界一を誇るパリ地域に暮らしていて、様々な名所が身近にあるのが特権ですが、この「行こうと思えばいつでも行ける」という甘えが、腰を重くしてしまうことが多々あります。
私にとってはヴェルサイユ宮殿がそうでした。実は学生時代を最後に、足を運んでいなかったのです。ヴェルサイユはパリから約20キロ西南に位置する美しい町です。週末の散歩や、宮殿の敷地内にある素晴らしいロイヤル・オペラでのクラシック音楽のコンサートへ行くことはあっても、世界中から集まった観光客でひしめく宮殿前の長蛇の列には、ついついたじろいでしまいました。

外出規制措置解除直後の再発見

新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策のため、フランスでも主な観光名所や美術館はもちろん、国立公園もすべて閉鎖されていました。今回の外出規制措置が解かれた直後、ヴェルサイユ宮殿が先駆けて門を再開したと知り、「今がチャンス!」と言わんばかりに家族で向かいました。
2か月近く続いた外出規制生活で観光どころか、仕事や必需品の買い物のため以外は家の周辺1キロ以上の距離を離れることのなかった生活を続けた後、こんなちょっとした遠出が、なんだか初々しい気分でわくわくするイベントとなりました。自由に外に出られる開放感、そして偉大な文化芸術に直接触れ合うことのできる喜びの再発見でした。
(左/ヴェルサイユ宮殿前の観光客の列。以前見られた長蛇の列とは比にもなりません。右/列に並ぶ時の対人距離の目安となるようにペンキで塗られた印。お洒落にも王宮の柵に見られる太陽顔のモチーフでした。)
(左/ヴェルサイユ宮殿前の観光客の列。以前見られた長蛇の列とは比にもなりません。右/列に並ぶ時の対人距離の目安となるようにペンキで塗られた印。お洒落にも王宮の柵に見られる太陽顔のモチーフでした。)

太陽王のヴェルサイユ宮殿

17世紀フランスで絶対王政を確立した「太陽王」ルイ14世(1638-1715)。ヴェルサイユの狩り用邸宅を増築し、1682年にここを宮廷としました。廷臣だけでなく貴族たちもこの宮殿に住ませ、専制政治を固めます。宮殿、庭園、公園を合わせた全敷地は合計約800ヘクタール、6万平方メートル以上の宮殿は全2300室と驚くスケールです。その豪華絢爛さは当時フランスだけでなくヨーロッパ中の注目を浴びました。学問や芸術の発展に大きく貢献した「大世紀(グラン・シエクル)」と呼ばれるルイ14世の治世はフランスの歴史上一番長い政権で、ヴェルサイユ宮殿なくしては語れません。
(左/宮殿前のルイ14世像。中央/きらびやかであまりにも有名な鏡の間。右/中庭から見た華やかな宮殿の外観。再開直後、久々に訪れたヴェルサイユ宮殿でフランスが世界に誇るこの世界文化遺産を目の当たりにして、私たちを癒し励ましてくれる文化芸術の重要さを再確認しました。)
(左/宮殿前のルイ14世像。中央/きらびやかであまりにも有名な鏡の間。右/中庭から見た華やかな宮殿の外観。再開直後、久々に訪れたヴェルサイユ宮殿でフランスが世界に誇るこの世界文化遺産を目の当たりにして、私たちを癒し励ましてくれる文化芸術の重要さを再確認しました。)

ルイ14世の食事

2010年に、世界で初めて一国の料理が世界無形文化遺産に登録されたフランス料理。その原型である宮廷料理が成立したのもここヴェルサイユでのことでした。
王の食事は1日3食。毎朝、8時半に始まる専門医の診断、身づくろいなど、起床の儀式の最後に王は朝食をとったそうですが、その内容はブイヨン・スープまたはハーブティーと意外にもシンプル。昼食は午後1時で、寝室の窓の前に位置するテーブルで一人が基本でした。その後、午後4時から5時の間に軽食をとります。
(王が昼食をとった寝室。)
(王が昼食をとった寝室。)
ハイライトは午後10時に控えの間にある王の食卓で王家の人々と共にするディナーです。例えば7人用のものであれば、オードブル10種、煮込み料理とスープ4種、メインディッシュ(ローストなどの肉料理で、当時は鳥類の肉が好まれました)4種、サラダ4種、それからサイドディッシュやフルーツ、デザートを含むアントルメが6種、合計28品の料理が用意されました。テーブルに次々料理が運ばれ、コースごとに皿を下げずに、空いたもののみ片づけられました。王が好きな料理に手を付け、その後、夕食を共にする者たちの間で位ごとに食べていくという運びです。
(豪華な晩餐の舞台であった控えの間。)
(豪華な晩餐の舞台であった控えの間。)
料理の例を挙げると、オードブルにはキジのバロティーヌ(鳥類の肉に詰め物を巻き込んだ料理)、スープにはイタリア宮廷風のポルチーニを煎じたビスク(甲殻類のクリームスープ)、メインにはプーラルド(食肉用に卵巣を排除し太らせた雌鶏)のザリガニ添え、アントルメにモリーユ茸のスフレ、当時最高の贅沢品であった季節外のフルーツ、南米から紹介されたばかりの希少品チョコレートを使用したタルトなど。
太陽王の食欲は並外れたもので、義理の妹にあたるラ・プランセス・パラティーヌによると、「しばしば4種類のスープ、キジ1羽を丸ごと、ヤマウズラ1羽、大皿に山盛りのサラダ、ニンニクと肉汁に浸かったマトンの切り肉、厚切りハム2切れ、皿いっぱいのパティスリー、各種フルーツ(生・砂糖漬け・コンポート)」を豪快に平らげたそうです。その後、痛風を患ってしまったのも無理ないですね…。
さて、ここまできて読者の皆様も疑問に感じられていると思うのですが、一体チーズの存在はどうなっているのでしょう?

太陽王とチーズの関係

毎週モーからブリー・ド・モーを積んだ荷馬車が何台もヴェルサイユ宮殿へ向かったという話、オーヴェルニュ出身の元帥によって紹介され太陽王御用達となったというサン・ネクテールの話など、ルイ14世のチーズにまつわる逸話はいくつか残っています。しかし実際どのようなチーズを食べていたかという記録を見つけることは難しいようです。
何故なら、ルイ14世の時代、チーズは農民や修道者など貧しい者の食べ物という偏見が強かったのです。貴族の間では、スフレやアイスクリームの材料となっても、上品な香料がつけられ、そのままの味が生かされる食べ方はしていなかったようです。
チーズが全階級において食べられるようになったのはフランス革命以後のことでした。その後、交通手段と食品保存技術の発展により、自家用に作っていたチーズの商品化がすすみ、1920年代にはグルメ界の注目を浴びるようになります。それ以前はデザートのカテゴリーに含まれていたチーズが、フレンチのコース料理に独自の品として出される栄光に輝くようになったのは20世紀前半と、ごく最近のことです。
しかし、歴史とは面白いもので、太陽王の支配は、今ではフランスを代表するあるチーズが誕生するきっかけを作りました。
ルイ14世による数々の戦争への出費が国の財政を傾かせたことは有名ですが、これは敵国のチーズ輸入が禁止された仏蘭戦争時代(1672-1678)の話です。兵士たちの士気を高めるために旧フランドル伯領(現在のフランス北部)の農家にフランス版エダム・チーズを作ることが奨励されました。製造法は同じですが、オランダの黄色いエダムと見分けられるよう、ベニノキから抽出した色素でオレンジに着色し、外皮もワックスで覆いません。
こうしてミモレットが誕生したのです。

お国自慢ミモレット

仏蘭戦争中のエンツハイムの戦い(1674)で、仏軍と戦った国々をチーズ商人の立場に例えた「チーズ商人連合の敗走」という、当時の興味深い風刺詩を見つけました。詩の中のオランダ商人にあたる節は次の通りです。
私のチーズでいい商売ができると思った
オラニエ公とともに風味がよいからだ
しかし、すべてが覆されることになりそうだ
なぜなら、その味はこの乳製品に値しないからだ
オラニエ公とはオランダ総督でもあったウィレム3世。そして「この乳製品」とは、製造地にちなんで当時は「リールの玉」などと呼ばれていた後のミモレットを指すのだと、私には思えてなりません。プライド高いフランス人が、仏軍の優勢を、エダムに勝るミモレットとチーズにかけて自慢しているのです。
「朕は国家なり」という名言を残した太陽王ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿やフランス料理だけでなく、ミモレットの誕生にも貢献していたのです。
(18~24か月熟成のエクストラ・ヴィエイユ・ミモレット。粉っぽい外皮と所々に見られる穴はコナダニが作りだします。この穴からチーズが呼吸をして、周囲の水分を吸収します。コナダニはミモレットの熟成に重要な働きをします。若いミモレットのマイルドな味わいは熟成が進むごとに濃厚になり、ヴィエイユ・ミモレットの風味はからすみに例えられます。)
(18~24か月熟成のエクストラ・ヴィエイユ・ミモレット。粉っぽい外皮と所々に見られる穴はコナダニが作りだします。この穴からチーズが呼吸をして、周囲の水分を吸収します。コナダニはミモレットの熟成に重要な働きをします。若いミモレットのマイルドな味わいは熟成が進むごとに濃厚になり、ヴィエイユ・ミモレットの風味はからすみに例えられます。)
品名:ミモレットAOP
種類:ハードタイプ
産地:フランス北部
原料乳:殺菌乳または無殺菌乳
直径:20㎝
深作 るみ

京都生まれのフリーライター。夫と子供3人でフランス在住。