常識を覆すトルコの伝統デザート「キュネフェ」
: UPDATE /
「やったー、本場のキュネフェが食べれる!」
これが、トルコ・イスタンブールへの旅行計画を伝えた時、我が家でサッカーとグルメ最新情報を一番先に入手する中学生の息子が発した言葉でした。
私は学生時代のその昔、留学生としてアジアとヨーロッパの2大陸にまたがるこの街で1年間近く過ごした体験があります。なので、ある程度トルコのことは知っていると自負していたのですが、キュネフェのことは知らずいきなり躓いてしまいました。
自分の無知はさておいて、今時の子の情報召集力に感心して調べてみた結果、キュネフェがトルコ南部のシリアとの国境に接した地方のお菓子であることがわかりました。しかも中にチーズが入っているというではないですか。残念ながら私が学生だった頃、地方名物であるキュネフェはイスタンブールで普段食べられる物ではなかったので、今回の旅行の楽しみが増えました。
これが、トルコ・イスタンブールへの旅行計画を伝えた時、我が家でサッカーとグルメ最新情報を一番先に入手する中学生の息子が発した言葉でした。
私は学生時代のその昔、留学生としてアジアとヨーロッパの2大陸にまたがるこの街で1年間近く過ごした体験があります。なので、ある程度トルコのことは知っていると自負していたのですが、キュネフェのことは知らずいきなり躓いてしまいました。
自分の無知はさておいて、今時の子の情報召集力に感心して調べてみた結果、キュネフェがトルコ南部のシリアとの国境に接した地方のお菓子であることがわかりました。しかも中にチーズが入っているというではないですか。残念ながら私が学生だった頃、地方名物であるキュネフェはイスタンブールで普段食べられる物ではなかったので、今回の旅行の楽しみが増えました。
イスタンブール
パリから飛行機に乗って約4時間でイスタンブールに到着します。その圧巻な古今東西大文化の数々の偉大なる歴史的建築物や遺跡が並ぶその独特でエキゾチックな風景は見る度に衝撃的です。
紀元前にすでにギリシャ人たちによる植民都市が存在したこの街。千年以上の間コンスタンティノープルと呼ばれ、ローマ、ビザンツ、オスマンといった言葉も宗教も異なる三つの大帝国の首都として、それぞれの時代に世界に大きな影響を及ぼしてきました。これほど多様な文化が融合した稀有な都市も歴史上他に存在しないのではないでしょうか?
世界遺産も数々存在するのですが、その中でもイスタンブールを代表するのがアヤソフィアとスルタンアフメト・モスクです。
紀元前にすでにギリシャ人たちによる植民都市が存在したこの街。千年以上の間コンスタンティノープルと呼ばれ、ローマ、ビザンツ、オスマンといった言葉も宗教も異なる三つの大帝国の首都として、それぞれの時代に世界に大きな影響を及ぼしてきました。これほど多様な文化が融合した稀有な都市も歴史上他に存在しないのではないでしょうか?
世界遺産も数々存在するのですが、その中でもイスタンブールを代表するのがアヤソフィアとスルタンアフメト・モスクです。
アヤソフィア

537年に東方正教会の大聖堂として建立されたビザンツ建築の最高傑作で、直径約31メートルの巨大なドームの高さは約56メートルにも及びます。かつては世界最大のキリスト教建築として君臨したこの大建築をわずか6年弱で建ててしまったという事実も驚きに値します。オスマン帝国時代にはモスクに改修され、20世紀には博物館になったのですが、再びモスクとして使用されています。時代の変化と文明の変遷を豊かに体現した偉大なる歴史的モニュメントといえます。
ここでは、歴史そして文明と共に人類が築いてきた比類のない有形物を目の前に、息子と二人でド肝を抜かれる思いでした。
ここでは、歴史そして文明と共に人類が築いてきた比類のない有形物を目の前に、息子と二人でド肝を抜かれる思いでした。

スルタンアフメト・モスク
そんなアヤソフィアと堂々向かい合って建っているのがスルタンアフメト・モスクです。世界一美しいイスラム寺院の一つとも称されるオスマン建築の極致で1616年に完成。ビザンチン建築を研究し、それを独自の構造へと昇華させたもので、アヤソフィアにも決して引けを取らない壮観さを誇ります。

中に入ると何故ここがブルーモスクと呼ばれているか理解できます。息を呑むような美しさの青いタイルが主要な要素として壁を彩っているのです。

天井を見上げると中央の巨大なドームを半ドーム群が囲み、ステンドグラスから差し込む光とともに壮麗です。建築のスケールを考えるとあまりにも意外なその軽やかさと開放感には目を見張るものがあります。視覚的美しさだけでなく、祈りの場として理想的な精神的な安らぎすら感じられるこの見事な空間に、私も息子も感慨無量でため息をこぼすばかりでした。

朝食で知るトルコ文化
1日の始まりに食べる朝食は、しばしばその土地の人々の習慣や特徴を表しています。トルコ料理には米がよく登場するのですが、典型的な朝ごはんに見られるように主食はパンです。
そして欠かせないのがチーズです。白チーズを意味するベヤズ・ペイニールが最も一般的です。ギリシャのフェタチーズに似ていますが、よりクリーミーで塩味もそれほど強くありません。もう一つよく登場するのが黄色いセミハードタイプのカシャル。マイルドなチェダーに似ていて、チーズトーストなどにもよく使われます。
これはオスマン帝直系の先祖が遊牧民で、牧畜によって得られる保存性の高い乳製品や簡単に調理できる小麦粉のパンを主要食料源としていたことに関係しているようです。
これらにトマト、キュウリなどの新鮮野菜とオリーブ、そしてハチミツ、ジャム、バターなどが添えられます。卵料理もよく出てきますが、あくまでもパン、チーズ、野菜、オリーブが土台です。野菜やオリーブは、イタリア、ギリシャなどの地中海食の典型的な食材でビザンツ帝の名残でしょうか?ハチミツはトルコが世界トップクラスを誇る食品で、ジャムもこの国の美味しい果物や珍しい物ではナスを使ったものなど様々です。また、上質オリーブ油の生産地であるにもかかわらず、パンにはバターを塗る習慣も遊牧民のルーツと関係しているのでしょうか?
学生時代にトルコ国内を色々旅した時も、このように栄養満点の朝食を紅茶と共に各地でいただいきました。
そして欠かせないのがチーズです。白チーズを意味するベヤズ・ペイニールが最も一般的です。ギリシャのフェタチーズに似ていますが、よりクリーミーで塩味もそれほど強くありません。もう一つよく登場するのが黄色いセミハードタイプのカシャル。マイルドなチェダーに似ていて、チーズトーストなどにもよく使われます。
これはオスマン帝直系の先祖が遊牧民で、牧畜によって得られる保存性の高い乳製品や簡単に調理できる小麦粉のパンを主要食料源としていたことに関係しているようです。
これらにトマト、キュウリなどの新鮮野菜とオリーブ、そしてハチミツ、ジャム、バターなどが添えられます。卵料理もよく出てきますが、あくまでもパン、チーズ、野菜、オリーブが土台です。野菜やオリーブは、イタリア、ギリシャなどの地中海食の典型的な食材でビザンツ帝の名残でしょうか?ハチミツはトルコが世界トップクラスを誇る食品で、ジャムもこの国の美味しい果物や珍しい物ではナスを使ったものなど様々です。また、上質オリーブ油の生産地であるにもかかわらず、パンにはバターを塗る習慣も遊牧民のルーツと関係しているのでしょうか?
学生時代にトルコ国内を色々旅した時も、このように栄養満点の朝食を紅茶と共に各地でいただいきました。

オスマン帝国のグルメ事情
現在のトルコ共和国になる以前のオスマン帝国は、その最全盛期にはベオグラード、アテネ、カイロ、エルサレム、メッカ、ダマスカス、バグダッドなどの主要都市を支配下に置いていました。このことだけでも帝国の最高権力者であったスルタンの食卓に並んだ贅沢な食材の種類の豊富さや、調理法の多様性が容易に想像できます。まるで『アラビアンナイト』のお伽話に登場してもおかしくないような、あらゆる貴重なスパイスや珍味、そして手間も惜しみなくかけた素晴らしい料理や食品が各地から宮廷へ取り寄せられ、生み出されたのです。

(歴代スルタンが住んだトプカプ宮殿の厨房。)
それはお菓子の世界も例外ではありません。現在知られているオスマン帝国時代の料理本は最古15世紀のもので、これらには中世から伝わるアラビアのレシピから、オスマン宮廷料理、貴族の料理、そして帝国の地域料理が言及されているそうです。それらの中に今日も人々に愛され続けるあらゆるお菓子名が見つかるそうです。

(イスタンブールの名門お菓子屋さんのショーウィンドー。オスマン宮廷に由来する多種の伝統菓子が並んでいます。)
キュネフェ
キュネフェもオスマン帝国の料理本に登場するそうです。これは、カダイフと呼ばれる細い麺状の生地にチーズを入れ、たっぷりの溶かしバターを絡めて香ばしく焼き、それをシロップに浸したデザートです。
熱々状態のものにシロップをかけ、トルコが世界に誇る豊かな風味で鮮やかな緑色のピスタチオをまぶします。食べる際に中の弾力性に富んだとろけたチーズが糸を引くように伸びるのにまずびっくりさせられます。リッチなバターで焼かれたカダイフの香ばしい味と食感、滑らかなチーズの組み合わせが絶妙。しかも何とも良い加減の甘さと塩味のコントラストが美味なハーモニーを生み出すのです。
熱々状態のものにシロップをかけ、トルコが世界に誇る豊かな風味で鮮やかな緑色のピスタチオをまぶします。食べる際に中の弾力性に富んだとろけたチーズが糸を引くように伸びるのにまずびっくりさせられます。リッチなバターで焼かれたカダイフの香ばしい味と食感、滑らかなチーズの組み合わせが絶妙。しかも何とも良い加減の甘さと塩味のコントラストが美味なハーモニーを生み出すのです。

材料に使われる主なチーズはハタイと呼ばれるもので、キュネフェの産地である同名の県名に由来しています。牛、山羊、または両方を混ぜた乳から作られ塩分の非常に低いチーズです。私たちが食べたものは癖のないモッツアレラに似ていました。
溶かしたチーズをデザートとして食べる伝統菓子は初めてだったので、とっても驚きました。普段はきゃあきゃあ感動しながら美味しいものを食べる私たち親子も、この時ばかりは無言に近い状況でキュネフェを味わうことに集中しました。
そんな時ふと思い出したのが、常識を覆すオスマン史の決定的瞬間の出来事です。「難攻不落」と言われていたビザンツ帝国の要塞都市コンスタンティノープルは、陸路からの攻撃ルートは限定され、金角湾の狭い入り口も強固な鎖で封鎖されていたので海上からの侵入も大変困難でした。飛行機が存在しなかったこの時代、オスマン軍はなんと艦船を陸路で湾まで運び、1453年に現在のイスタンブールを征服したのです。
オスマン帝国の下で洗練され現在につたわる伝統菓子キュネフェ。大袈裟かもしれませんが、私にとってこれはオスマン史が残してくれた常識を覆すお菓子です。
溶かしたチーズをデザートとして食べる伝統菓子は初めてだったので、とっても驚きました。普段はきゃあきゃあ感動しながら美味しいものを食べる私たち親子も、この時ばかりは無言に近い状況でキュネフェを味わうことに集中しました。
そんな時ふと思い出したのが、常識を覆すオスマン史の決定的瞬間の出来事です。「難攻不落」と言われていたビザンツ帝国の要塞都市コンスタンティノープルは、陸路からの攻撃ルートは限定され、金角湾の狭い入り口も強固な鎖で封鎖されていたので海上からの侵入も大変困難でした。飛行機が存在しなかったこの時代、オスマン軍はなんと艦船を陸路で湾まで運び、1453年に現在のイスタンブールを征服したのです。
オスマン帝国の下で洗練され現在につたわる伝統菓子キュネフェ。大袈裟かもしれませんが、私にとってこれはオスマン史が残してくれた常識を覆すお菓子です。

(『征服者メフメト2世によるオスマン艦隊の陸上運搬』ファウスト・ゾナーロ作(パブリックドメイン))