55日間

: UPDATE /
皆様、今月もチーズコラムをご覧いただきありがとうございます。
コロナウイルス感染症拡大の影響で、フランスでは3月中旬以来外出制限が続いておりました。皆様のお住いの地域でも様々な制限が課せられる毎日かと存じます。
事態の終息、そして何より皆様の安全とご健康をお祈り申し上げます。

55日の憂鬱?

先週5月11日に、55日間続いた外出制限が緩和されました。
当初は、感染症の不安と共に、証明書を印刷し(のちにウェブサイトから必要事項を入力すれば良いシステムになった)許可された1時間以内で買い物を済ませなければならない毎日を思い、先行きが思いやられました。
しかし「案ずるより産むが易し」とことわざはよく言ったものです。約2ヶ月間心豊かな日々が過ごせるとは想像すらしませんでした。

シチリア島直送の野菜

南イタリアの果物と野菜 南イタリアの果物と野菜
外出制限の開始後まもなく、イタリア人のパオロと出会いました。
彼はイタリア南部シチリア島出身のイタリア人で、パリのイタリアン・レストランにイタリア野菜、食品を販売する小さな会社を経営しています。
しかし、3月に突然決定された外出制限でレストラン、バーは全て閉鎖され、彼は突然顧客のほとんどを失いました。仕事が激減したため、最近まで二人の従業員を自宅待機させていたほどです。
主要な顧客であるレストランに販売できないパオロは、パリに住む友人、知り合いのイタリア人に、毎週シチリア島から野菜や果物などの食品を直接配達する形で商売をなんとか継続していました。
2019年9月の当コラムで紹介した「極みの人」である友人バレッティ明美さん*1が、パオロの野菜宅配について知らせてくれ、「私は来週から注文するのだけれど、興味があればさやかさんも注文しない?」と誘ってくれました。
近所のイタリア人に野菜を運ぶパオロの車の横を、明美さんのご主人が偶然通りかかり、話しかけて電話番号を交換したとのことでした。
*1 2019年9月コラム スパイス・アップ!
http://www.f-r-m.co.jp/cheeseletter/201909/

イタリア野菜で友人とつながる

1週間に一度パオロが届ける野菜が、家の中にシチリアの太陽と風を運んできたようでした。丸いナスの甘さや菜の花のほろ苦さ、白いズッキーニの繊細な食感に、私たちはすぐに夢中になりました。
お浸しにもソテーにも 西洋菜の花「チーマ・ディ・ラーパ」 お浸しにもソテーにも 西洋菜の花「チーマ・ディ・ラーパ」
写真提供 Akemi Barety
そこでパオロの野菜宅配を、以前から和食の料理教室で一緒の仲間達にLINEのグループで伝えると、次々と仲間たちが注文の輪に加わりました。
そこでLINE「パオロのトラック」と名付けたグループチャットを作り、イタリア野菜を使ったレシピを交換したり、料理の感想や写真などを載せ、ほぼ毎日、仲間同士で盛り上がっています。
サラダにするとおいしいラディッキオ サラダにするとおいしいラディッキオ
並外れた甘さと繊細な香りはおそらく世界一?トロぺア産の玉ねぎ

並外れた甘さと繊細な香りはおそらく世界一?トロぺア産の玉ねぎ
薄切りにしても涙は出ません!写真提供 Akemi Barety

イタリア語に格闘

パオロの商品リストには写真や値段すらなく、イタリア語の野菜や果物の名前だけがヨーロッパ、北米で主流の無料メッセージアプリWhatsAppで毎週送られてきます。フランス語は話せてもイタリア語を話せない私たちとパオロのやり取りは、毎回Google翻訳と直感を駆使しながら続いています。またひと束がどれくらいか予測がつかないことも多く、仲間の一人はセロリを注文したら3キロ届いたそうです。
チャットで意見交換したイタリア野菜の調理法をいくつか写真でご紹介します。
ユダヤ風アーティチョークの素揚げ ユダヤ風アーティチョークの素揚げ
写真提供 Akemi Barety
丸ナスのグリル 丸ナスのグリル
プンタレッラのサラダ アンチョビのヴィネグレットで プンタレッラのサラダ アンチョビのヴィネグレットで
写真提供 Akemi Barety
コロナウイルス感染症の拡大や外出制限で、フランスに暮らす私たちの日常生活にも大きな変化がありましたが、パオロの野菜の購入と、注文仲間とのチャットが今、大きな心のよりどころになっています。
パオロのイタリア野菜で、自宅にいても新しい人やモノとの出会いは可能だということを知りましたが、この外出制限の間、もう一つの出会いがありました。

修道士の作るチーズ

写真左はパオロが売るイタリアチーズで、夏トリュフが入っています。これに似たトリュフ入りペコリーノを2016年1月*2、2020年1月のコラム*3で取り上げました。そこで今回のコラムでは、写真右のチーズについてのお話にお付き合いください。
左:夏トリュフ入りペコリーノ/右:セット・フォン修道院(L'abbaye de Sept-Fons)で作られるチーズ 左 夏トリュフ入りペコリーノ
右 セット・フォン修道院(L’abbaye de Sept-Fons)で作られるチーズ
フランスの中央部オーヴェルニュ地方ディウにあるトラピスト修道院、セット・フォン修道院で作られるこのチーズは、直径11cm、高さ6cm、重量475-500g、脂肪分27%の牛乳製のチーズです。
低温殺菌した牛乳を使用しており、修道士がチーズの原料となるノルマン種の乳牛の世話から搾乳までを修道院付設の農場で行っています。
*2 2016年1月 トリュフとチーズのマリアージュ
http://www.f-r-m.co.jp/cheeseletter/201601/
*3 2020年1月 真冬のストライキ
http://www.f-r-m.co.jp/cheeseletter/202001/

起死回生のチーズ

フランスでは10年ほど前に牛乳価格が下落し、多くの酪農家が廃業に追い込まれたりと苦難を味わいました。
乳牛を飼育するセット・フォン修道院では、1日2回の搾乳で、1週間に4000リットルの牛乳を生産しています。しかし牛乳価格の下落で修道院の農場が閉鎖寸前まで追い込まれ、年若いジェローム修道士が、修道院でのいわば上司にあたるアベ神父に農場の危機挽回作戦を発案するよう命じられたことから始まりました。
ジェローム修道士は、修道院の近隣のチーズ製造者と交渉し、農場の牛乳をそこで全て買い取ってもらうこと、その牛乳で新しくチーズを作り販売すること、いずれは修道士たちが自分で製造して販売できるよう、チーズ作りを教える約束を取り付けました。その約束は果たされ、修道士たちが作るこのチーズは、今ではオーヴェルニュ中のチーズ店で大人気のチーズになりました。
(資料:セット・フォン修道院ブティックHP)

偶然の出会い

さて、私がこのチーズと出会ったのは、まったくの偶然です。
外出制限開始前後から、まず小麦粉やパスタがスーパーの棚からなくなりました。そこで夫がネットで買える小麦粉を検索しました。
修道院の経営するネットショップ*4で小麦粉を注文する。25ユーロ以上買うと配送料が無料とあるので、他に欲しい商品があるかどうか見て欲しいと言われました。その時に、修道院で作る小麦粉、ジャムや蜂蜜と一緒に買ったのがこのチーズでした。
個性が強いチーズではありません。しかし、ほのぼのとするような甘さ、ねっとりとした食感で優しく飽きない味です。そのまま食べても、グラタンのようにオーブンで焼いてもいい感じです。調べてみると、その秘密はどうも小麦胚芽にあります。
*4 セット・フォン修道院ブティック (仏語のみ)
https://www.boutique-abbayedeseptfons.com/

小麦胚芽の粉末で外皮をおおったチーズ

修道院では、生産する小麦の胚芽やふすまを乳牛の飼料に混ぜて利用しています。その牛乳から作るこのチーズは、周りを小麦の胚芽粉末をまぶして熟成しています。胚芽粉末は大豆のきな粉のような香ばしい味と匂いです。小麦胚芽がこのチーズの乾燥を防ぎ、日向の干し草ような甘い香りを与えているのでしょう。
小麦胚芽の粉末の「ジャーマリン」 小麦胚芽の粉末の「ジャーマリン」
小麦胚芽粉末は、たんぱく質、オメガ3脂肪酸、ビタミンE、B1、B9、リン、マグネシウム、鉄、亜鉛、マンガンなどが豊富。1930年以来販売している胚芽粉末は1000を超える5つ星のレビューからも修道院の人気商品なのが伺えます。
牛乳価格下落による修道院の農場存続の危機と、年若い修道士の情熱でこのチーズが生まれました。パオロとの出会いも、修道院のチーズを注文したのも偶然ですが、外出制限がなければ決してなかった出会いです。危機が生んだこれらの出会いに感謝し、生活に喜びを与えてくれる野菜やチーズの作り手と土地に感謝します。
パオロから購入したカチョカヴァッロDOPチーズをトーストに パオロから購入したカチョカヴァッロDOPチーズをトーストに
写真提供 Keiko Le Ny
まだ不安と隣り合わせの日々ですが、このコラムを通じて出会えた皆様と、遠方の家族、同じシチリアの野菜を通してつながりを深めあった友人たちへ感謝を込めて、このコラムを届けます。皆様に平安が訪れますように。
五条ミショノウさやか

2004年からパリに在住。 家族は夫と娘が二人。 業界誌や講演録などの英日翻訳をしています。